好ましく思う

現実の、身近な女の子よりも声優の方が好ましく思っている。
でもそれは仕方ない。だって彼女らは演じるプロなのだから。魅力的な人物像を見せることくらい、簡単なのだ。程度の差はあっても、一線で活躍できている人なら例外なくそうだ。
最近はテレビを見ないので、普通の芸能人のことはさっぱりわからないが、そちらも似たようなものだろう。演出の効果はテレビの方が大きいだろうから、テレビだと本人の資質だけではやっていけないだろうけど。逆に演出さえよければ資質なんぞなくてもやっていけたりするだろうけど。まぁそれはともかく。
身近にいる、リアルな人はそこまでの魅力は持っていない。魅力を磨くヒマがあったら働かなきゃならない。勉強しなきゃならない。魅力を磨くこと自体を仕事にしている人に敵わないのはある意味当然だ。もちろん例外はいる。しかし平均的にはそうなるだろう。


リアルな人がメディアの人に対して持っているアドバンテージは、直接触れられることだろう。
しかし単にコミュニケーションというのであれば、例えばラジオに投稿する等の手段でレスポンスを得ることはできる。いいネタじゃないと取り上げてもらえないが、それはリアルな人だってちゃんと話題を振らないと反応してくれないのだから似たようなものだ。
直接顔を見られることが重要だろうか。しかしイベントなどに行けば顔を見ることくらいできる。握手会みたいなことをやってる人もいるから物理的な接触の有無というわけではない。
だから「有無」ではなく「多寡」ということなのだろう。十分な量がほしい、と。
他にも、1対1のコミュニケーションであるということもあるだろう。多くの場合、メディアの人は自分だけに話しかけてくるわけではない。


あるいは……。総合的な、人間的魅力という面で劣るとしても、「自分だけがわかってやれる良さ」がある、というのも、リアルな人の魅力であるかもしれない。これは非常にオタク的な観点であるかもしれないが、非常に高次・高難度な魅力であると思う。
また、高次・高難度であるが故に、なかなかその域まで達するのは難しいように思う。
だから仕方ない。安易にメディアの人が好きになったり2次元キャラが好きになったりしても仕方ないのさ。