適応放散

適応放散 - Wikipedia
これは進化論上の話だが、なんとなく、人間の性格分布にもいえることのような気がする。


例えば、善人だけを100人集めたとする。しかしそれでも、そのコミュニティの中で、いずれは犯罪が起こるだろう。人間は欲望を消せない。
逆もまた然りで、悪人だけを集めたとしてもそこには秩序が形成され、コミュニティのためになることは賞賛され、奨励される傾向にあるといえる。マフィアなどはその好例だろう。
成績優秀な者だけを集めても、必ず落ちこぼれは出るし、勤勉な者だけを集めても、必ずサボる者は出てくる。


世の中には色々な人がいる、というのは、本能的にそのように放散しているのだ。危機的状況に陥ったとき、同じ行動しかしない集合では全滅する可能性が高い。社会を形成することを前提とした生物は、形質的特徴だけでなく、性格的特徴でも放散しなければ、生き残っていけない。


そういう視点では、画一化された社会など実現不可能だ。自分の視点でものごとを主張するのは自由だが、それをすべての人間に強制できるというのは、オメデタイ幻想・クダラナイ妄想にすぎない。