「どうせ裏切られるのだから,最初から信じない」
このセリフは,小説などでは往々にして「そんなの寂しいじゃないか」という論理で破られる運命にある.だが,それだけじゃないのだ.寂しいだけではない.実際的な不都合があるのだ.
こんな姿勢には意味がない.人間は互いに信じあい,協力しなければまともに生きていくことなどできない.
「信じないが協力はする」などというのもまやかしだ.相手を一切信じずに協力することは不可能だ.相手がある程度動いてくれるという「信頼」の元に動くほかないからだ.
とりあえず,信じる.裏切られたら,そのとき初めて「最初から信じていなかったのさ」と防衛機制でも張ればいい.
ものごとをシニカルに見るのは個人の勝手だが,集団にそれを持ち込んではいけない.それは,時に集団自体の崩壊を招く.誰にそんな権利があるというのか?