言文一致
大母音推移 - Wikipedia
http://business.nikkeibp.co.jp/article/nba/20081015/173959/
前にも書いたような気がしないでもないけど検索しても見つからなかったので書く。
この2つの記事を(恣意的に)まとめると、「印刷技術の向上などによって単語の綴りが固定化されたが、発音の方は変化してしまった。しかしある程度規則的な変化だったので、綴りに応じた発音をパターン化して覚えれば未知の単語でも読める」ということ。
これって、言文一致以前の日本の状況と似てるなぁ、と思った。印刷技術はどうだかわからない*1が、文語と口語の乖離が生じているにも関わらず、文語をそのまま使っている点で類似しているよーな気がした。
しかしこれだけ世界中で英語を使い、日々情報発信してるにも関わらず、大々的な言文一致運動は起こらない。なぜだろう。一致させたいと思うのは日本人だけなんだろうか。
ここまで考えて、ふと、漢字とかな文字の存在を思いうかべた。
漢字は中国由来の文字である。読みは当然(当時の)中国語なのだが、日本人は訓読みもした。つまり「朝」と書いて「あさ」と読むような。これって、"morning"と書いて「あさ」と読むくらいものすごいこじつけなんだが、それが一般的に行なわれるようになってしまった。まったく言文一致とはかけ離れている。
一方で、かな文字は中国語の発音を日本語のモーラ*2にあてはめて作られた文字である。漢字の訓読みとは逆に、これは完全に言文一致だと思う。
つまり、日本人は外から取入れた物を、適当に使いやすくアレンジして使うだけで、言文一致がどうこうとかいうのは些細なことなのだろうか。明治期の言文一致運動も、ある意味で「現在の自分」からは離れた「過去の文献」という外の世界から取入れた書法を、「自分たちが表現したいように表現できるものに変えた」という、ただそれだけの話であるのかもしれない。「ちょっと」と「チョット」と「一寸」では、なんとなく受け取る印象が違うように、文字表現にこだわった結果、たまたま当時は言文一致運動となったのだろう。
英語の話に戻る。日本語では多くの文字があり、同じ発音を表すにも多くの方法があるのとは対照的に、英語では大文字小文字合わせてもわずか52文字。また、変化が母音のほとんどにまたがっており、綴りの変更も大規模にならざるを得ない。読みやすく、表現しやすくするために言文一致にしよう、という目的だったのに、それで逆に読めなくなるという本末転倒なことになりかねない。
ここまで来てしまったら、もう言文一致にはできない、ということなのだろう。ネットスラング的な用法("you"を"u"と書く等)はあるので、多少の綴りの変化はあるにしても、それが言文一致という方向に向かうことは、ないような気がする。
というわけで、これからも、単語の綴りを覚えるために、英語母語話者であろうとなかろうと、多大な労力を払わねばならないのであった。
*1:印刷 - Wikipediaによれば、平安中期頃から木版での印刷は盛んに行なわれていたとか……。意外に古い。
*2:「モーラ」なんて概念は当時は無いが、ほとんどの日本語母語話者の脳内回路はそういう単位で処理をするようになっている。……とか言って当時は違ったりしたらどうしよw 実際、津軽・薩隅方言に音節単位の処理体系があるということは、一時期の京都では音節単位の処理をしていた可能性があるような……。まぁ細かいことは気にしない!