ちゃんと書く。

やっぱり携帯じゃ書く気にならないのです。長いので縮めておく。
さて、社会人ともなれば、会社に雇われる身となり、仕事中心の生活になるのだろうと思います。そこではまず「仕事ありき」であり、仕事ができなければ減給、悪くすればクビの憂き目にあうことでしょう。
一方、吹奏楽団体というのはプロでもない限りは、「人ありき」なのではないかと思います。うまく吹けるかどうかが重要なのではなく、一緒に吹くことが重要であり、うまく吹けない人は「辞めさせる」のではなくて「練習させる」のが普通です。悪い言い方をすれば、「馴れ合い主導のコミュニティ」です。「全体主義的コミュニティ」と言い換えることもできるでしょう。馴れ合いといっても悪いことではなく、それによって技術の向上や団体としての結束、人間的な豊かさの獲得など、良いことは多くあります。
このような考え方から行くと、「定期演奏会実行委員会」という組織は大政翼賛会のような形を取ることになります。基本的に「挙国一致」であり、委員会メンバーを他の団員が責め立てるような構図は不自然といえます。なぜならば、団全体として、それに関わらなければならないため、不手際の告発に終始するようでは意味がないからです。不備の指摘に終わるのではなく、何が求められているのか?どうすればよいのか?をはっきりさせ、良い方向に進むように、団全体が協力して進まなければなりません。「与党 vs. 野党」のような形では、まったく非生産的です。全員が方向性に納得し、中心メンバーを補強する形で目標に向う必要があります。
委員会内部に目を向けると、ある程度大きな仕事をしている以上は、責任の所在が明確になっている必要があります。責任を分散させすぎることは好ましくありません。しかし、「責任を分散させない」ことと、「責任を押し付ける」ことは違うのです。責任を集中させることは、あくまでも形式的なことであり、仕事は各個人が、「責任を持って」行うのが当然でしょう。仕事を人に振った場合、振った方に責任があるのはもちろんのこと、振られた方も、引き受ける以上は責任を持たねばなりません。責任を押し付けあう風潮が蔓延してしまうと、最初につぶれるのはトップです。すべてトップが悪いことになり、それがいなくなって、組織は瓦解するでしょう。
結局のところ、第一に「人」であり、それを前提として、初めて他のことができるのだと思います。ほとんどの人は、そんなに強くありません。協力し合ってこそ、全体として「強くある」ことができるのではないでしょうか。