StackStockBooks登録できない本

個人的に確認したもののリスト。適宜追加していく予定。

妖異暗躍譚3 青梅の幽香 Replay:天下繚乱RPG (integral)

妖異暗躍譚3 青梅の幽香 Replay:天下繚乱RPG (integral)

ふぁみぷれっくす ぼりゅーむ2 (ファミ通文庫)

ふぁみぷれっくす ぼりゅーむ2 (ファミ通文庫)

2010/12/22追加


その他、なゆラボを見ると、大量のスパムコメントに混じって、登録できない本の報告がいくつか見られる。

2010/12/23追記

メンテナンスがあり、これらの本も登録できるようになった模様。素晴らしい。

ロージナ茶会ちゃんねる 電子出版編を視て

読書感想文のようなタイトルだなw

視た。以下、(「無教養」な自分なりに)気になったところ。


教養について。多分、動画中の分類に加えてもう1つあると思う。

  1. 性向を基にした、ある特定のコミュニティにおける基礎知識(趣味の集まり・その目的に合致した知識)
  2. 人格的なもの(些細なことで腹を立てない)
  3. 必ずしも性向を一にしない、社会で共有される基礎知識(家族、町内会、学校・会社、社会生活を営むためのルールに対する知識、雑談を可能にする程度の広範な雑学)

動画中では1,2に言及されていて、dankogai氏は3の意味で捉えているような気がする。3の意味での「無教養者」を差別する風潮はそのまま人権問題に繋がりかねず、危険。
白田先生の主張は「1ならむしろ必要だよね」ということだと思う。ごく当たり前のことのように感じる。
2は正直よくわからなかった。
しかし例えば、内田樹先生の話でフランス文学がどうの、といったくだりでは、1と3が混同されていたようにも思える。


また、一見、コミュニティに参加することが第一義的な目標のように思えて、反発感があった。つまり、コミュニティに属したいとかいうこととは全く関係のない、対象自体に対する興味は確実にあるわけで、そのコミュニティに属することは副次的なものなのではないかと。
しかし、コミュニティにおける「教養」は、たいていの場合、元々持っていた興味を深める方に向いているのだから、問題ないのかな、と納得した。


動物化について。
その辺で自由に排泄するのではなく、トイレで排泄するのは衛生的な問題があるから。もし、それを技術的に解決できるのであれば、許容されるのかもしれない。
つまり、様々な問題を抱えた「動物的振る舞い」を理性によって抑えることで様々な発展をしてきた(人間らしくなってきた)わけだけど、動物的振る舞いによる問題が技術的に解決されるなら、動物的振る舞いをする方を指向するのかなぁ、と思う。
ただ、性的なものについては微妙かも。例えば性病や意図しない妊娠は技術的に解決されるかもしれないけど、出産は新たに人間を増やすことに繋がるから、社会的な影響が生じる。つまり、育てていくための経済力や道徳観が必要になってくる。前者は社会システム(例えばベーシック・インカムなど)で技術的に解決可能かもしれないけど、後者についてはそう簡単ではないはず。だからサルのようにヤリまくるのが是とされるのは考えにくい。でも2次元で欲求を処理するってのはある意味正しいのかな、とは思うw


その他。

追記

続けて欲しいのに褒めるのを忘れていたので追記。読まれないとは思うけどw まぁ真ん中さんは正直ビミョーだったからどうでmげふんげふん
iPad関連についてはすごく納得した。やっぱりiPad触ってること自体が楽しくて、それを話題にするのが楽しいんだよねぇアレは。国産の電子書籍バイスが出ても買う気になんないもんなー。買う気になる仕様で出してくれないってのもあるんだけど。
編集者の権力については……あの流れだとカリスマ編集者がいればいいんじゃないの?とか思ったけど、堂々巡りだしなぁw 法的な手当ができるならしてもいいけど、そうしなきゃ生き残れないようなら生き残らなくていいんじゃないの、とも思うなぁ。特定業界を生き残らせるためだけの法整備なんてよくある話だけど、あんまり釈然とはしないし。でも文化的な生活を送るためなら……うーん難しい。
基本的に本が好きだけど、じゃあ何読んでるんだって言われたらラノベだしなぁ。最近は俺妹とか読み始めた。アレは面白いんだけど、小説として面白いかというとそうじゃないんだよね。もっとメタ的な文脈で面白い。純粋に内容が面白いっていうのは、最近読んでないかもしれない、と思うと、全然文化的じゃないような気もするし、逆に高度に抽象的なレベルで楽しんでいるという意味では文化的なのかもしれないし。


あれ、あんまり褒めれてないぞ(´・ω・`)
まぁ、こういうこと考えるきっかけとしては非常に面白く、示唆も色々あって、テーマもとっつきやすい、といったところが魅力なのかなw
あずまんとかは要求する「教養」レベルが高すぎてついていけないもんなー。

"i"禁止

昨晩、組み込み系で働いてる友人と話していて、「ループカウンタ変数として"i"を使うの禁止」というコーディング規約だという話を聞いた。
前提として、言語はCであった。


ループカウンタを使うのはどんなときだろうか。
最初に思いついたのは配列の内容を順次使用する場合。

for (i=0; i<N; ++i) {
  printf("%d\n", data[i]);
}

この場合、重要なのは配列の意味であろうと思う。この例では、"data"とかいう、何が入ってるんだかまるでわからない名前が問題なのであって、"i"が問題なのではない。"N"もどうかと思うが。
次に多重化する場合。

for (i=0; i<N; ++i) {
  for (j=0; j<M; ++j) {
    for (k=0; k<L; ++k) {
      printf("%d\n", data[i][j][k]);
    }
  }
}

3次元まで到達するようなプログラムは大抵物理学由来であろう。数式の上で添え字としてi,j,kを使うのはむしろ一般的なので、これは逆にわかりやすい命名だと言えると思う*1。ここでも"data"や"N","M","L"という命名には問題があるだろう。
一方、物理とは関係ないケースでは、2次元が限界ではないだろうか。世の中の様々な事象を分析するのには、ほとんどの場合、状態ベクトルを作って行列で処理するだろう。一変数高次多項式の方程式を作るよりも、多変数一次方程式の方がモデル化しやすいし、固有値や特異値、行列のランクからもわかることは多い。技術者といえど、3階以上のテンソルとなると、途端に難解に感じるのではないだろうか。


というような内容をその場では考えていた。
そのときは訳が分からんと答えたのだが、実際どういうことなのか、考えてみる。


まず、配列内容を回すだけの場合、ループカウンタを使う必要は無い。特に組み込み用途であれば、ポインタを使うだろう。

int * p = data;
while (*p != END) {
  printf("%d\n", *(p++));
}

この場合も、"p","data","END"といった変数名はあまり適切じゃなさそうだけど、とりあえずループカウンタの話ではない。これは、要するにC++でstd::vectorの添え字でループ回すくらいならイテレータ使えよ、という話と同じ。


つまり、Cでループカウンタを使う必要がある、ということは、ループ回数自体に意味があるケース、ということになるだろう。

for (i=0; i<N; ++i) {
  printf("%d\n", i);
}

そりゃ"i"は使用禁止ですってことにもなる。ループの終了条件を見れば、"i"が何を意味しているのかはわかるだろうが、局所的に見た時に、「このprintfは何を出力しているのか」がわからない。"i"ではなく、それなりに意味のある変数名にすべきだろう。

*1:本来は逆に、ループカウンタに"i"を使うという習慣自体が、FORTRANの仕様(変数名の先頭がI〜Nのものは暗黙的に整数型)から来ていて、恐らく物理・化学方面の利用を想定したものだと思う。

さいきんのらいとのべる

最近日記書かなすぎだよ。
それとは別にラノベ積み過ぎでもある。
今10冊積んでるのかな。読みさしで放置してるのもいくつかあってこの数字だからなぁ。
うむむ。


最近の富士見書房は意識的に世代交代を進めている気がしますね。フルメタもリアルバウトもストジャも終わった。ヨーコは結局別レーベルでまとめて出すみたいだし。
良い傾向です。さっさと縁を切らせてください。
でもまだザ・サードとか真天地とか……ってこんなもんか? もっとあった気がしたけど。まぶらほはわりとどうでもよい。
買ってたけど打ち切られちゃったくさいシリーズがたくさんあったからその印象なんだろうな……ダーク・フロンティア・ブルースとかトライゼノンとかね……


ジャイブは最近天下繚乱リプレイを買ってるけど、何というか一線を画すな、と思った。紙質が明らかに悪くて、富士見の1.5倍くらい厚い。値段も1.5倍。なんだろうこれは……w
でも他のレーベルでは採算あわないモノでも出せたりするのかもしれないな。たぶん従来のラノベ読者層である中高生よりも年齢層高めのニッチを狙ってるんだろう。


その他、ファミ通文庫やらGA文庫やら色々。基本的に作者買いしてるんだけど、昔よりも1人の作者が多くのレーベルで書くようになったな、と思う。榊一郎とか築地俊彦とかね。秋田禎信もそうかな。ろくごまるにも結局GAに行ったし、いろんなレーベルでいろいろ出せるようになったのは基本的にはいいことだと思う。
レーベルまたぐからこそ起こる弊害もあるんだろうけど、やっぱり囲い込んじゃってると問題が起きやすいように思う。特に長期シリーズが突然止まったりとかそういう問題。いつでも著作権引き上げて他で出せるんだぜ、っていうカードを、最終的には作家が握ってたほうが健全なのかな、と。
でも多忙な作家がそんなの全部把握してらんないし、漏れが出て困ったって事態が多くなれば、欧米みたいな出版エージェントが日本でも登場するのかも。現状では市場が小さすぎて存在できないらしいけど。
エージェントとかいうとちょっと引いちゃうならマネージャーとか、呼び方変えてもいいけど。業界的に親和性高いのはメイドか?w


ダメだ。各レーベルから派遣されてきた編集者軍団と丁々発止の太刀合いを繰り広げるメイドガイの図が脳裏から離れなくなってしまった。

どこまで世話を焼くべきか?

研究室内で事実上最年長の学生となってしまい、後輩にいろいろと聞かれたり聞かれなかったりする。
それはいいんだけど、どうにも話しすぎてしまうのが問題だ。
聞かれたら次から次へ答えるのだが、それは果たして彼らのためになっているのかどうか? 自分で考えたり調べたりする機会を奪っているのではないか? などと、いつも考えてしまう。
輪講の時、本来はB4の質問をM1が受けることで、四苦八苦しながら覚えていくはずなのだが、直接僕の方へ質問が来てしまう。うまくM1に振れればいいんだけど、振っても反応が無く、仕方なく答えてしまう。
Linuxの使い方やソフトのコンパイルの仕方などについても、(今は昔と違って)ちょっと検索すればいくらでも出てくるのに、「わからない」の一言で思考停止してしまう彼らを前に、ついつい教えてしまう。
最近、B4とM2が揃ってコンパイルできないと言っていたソフトがあって、そんなに難しいのかと思って自分でやってみたら、何の問題もなくスムーズにビルドできてしまった。INSTALL読んでその通りにするだけだった。コマンドラインで1行。なんだそりゃ。
百歩譲ってB4はいいとしよう。だがM2でもそんなのでいいのか……


結局、変に甘いのかな、と思う。もっと突き放した方がいいんだろうか。どこまで教えて、どこから考えさせるべきなのか。さじ加減がわからない以上は、厳しめに接した方がいいのかもしれない。


彼らのやる気が出ないのは、一つには研究内容が就職先とは何ら関係ないことから来ているのだろう。うちの研究室の専門分野の就職先なんて修士卒では存在しないと思う。博士ならあるのかっつーとそれも微妙だけどw
しかし内容がどうであれ、問題なのは彼らの問題解決能力はあまりにも低すぎることだと思う。自分のことをさておいて言うけども。わからない、できない、どうすればいいですか?で、仕事になるんだろうか。就職したことないからわからないけど、少しだけバイトをやった経験からすれば、それじゃダメだと思うんだけど。
今の大学なんて職業訓練校みたいなもんだから、ある程度何らかのスキルを身に付けていってほしいところだが、そういう気概も特になさそうだ。
彼らの人生だから彼らのしたいようにすればいいのだが、本来得られるはずであった学習機会を奪うのは避けたいな、なんてね。


ひどく傲慢な内容になってしまった……。こんなこと悩んでる暇があったら自分の仕事をしなきゃダメだ。

Vista/7でのキー配列変更をどうするか問題

Vista/Windows 7におけるキーボードカスタマイズ問題 - A Successful Failure
こうなっていて、DvorakJはLLフックらしい。
yamyもLLフックなので、両方ともDirectInputに対応できないとのこと。
つまるところネトゲやりたい限りはWindows7には移行できない……というか、win7と一緒にのどかを買え、という話になるのか。
あるいはWindows自体に見切りをつけて、WINE上での動作を目指すか。動くらしいけど、実際には試してないんだよなぁ……日本語変換とかうまくできるんだろか。怪しいw